2012/05/28

心と身体は一体です

先日、義母が腰を痛めて整形外科を受診しました。
腰が痛いと言っているにもかかわらず、ベッドに座らされ、足の筋力の状態を検査されました。

そして、その医師は「とても筋肉が落ちておられるので、うちでは入院して頂くわけにはまいりません。うちは、看護士が夜は一人ですので負担がかかりすぎて困りますので。」、と言われました。

それだけでもショックだったのですが、その後義母がどの様に弱っていくかを事細かに説明されました。しかも、義母の面前で…。

その後、念の為という事でレントゲンだけは撮られたのですが、痛みを訴えているのにもかかわらず他の病院を紹介される事もなく、痛み止めの薬を出される事もなく帰される事になりました。

帰宅後、あまりのショックに義母は一人でトイレに行く事もできなくなってしまい、困り果てた私は、いつもお世話になっているケアマネージャーさんに相談する事に致しました。心配して下さったその方は、すぐにあちらこちらの介護施設に電話をして下さり、受け入れて下さる所を教えて頂きました。

そちらは、一ヶ月だけ入院することができるとの事でしたが、病院は併設ではないので治療する事はできませんとのこと…。この痛みが強い状態で、一ヶ月ただ寝たままでいるならば、きっと今より状態が悪くなるに違いないと思いましたのでお断りし、ヘルパーさん方に助けて頂き自宅で療養するということを選択致しました。寝たきり老人がつくられていく理由がこの時わかった気がしました。

義母の気落ちがひどかったので、このまま本当に医師の説明の通りに弱ってしまうのではないかとても心配になりました。

次の日、私はいつも私がお世話になっているお灸の先生を訪ねました。そして、前日の医師から受けた言葉の数々についてお話したところ、「そんな事信じたらその通りになりますよ。そんな事ありません。人はたとえ九十歳になっていていたとしても、動ける範囲で足踏みをしたり、足首を回したりするだけで日常生活に困らない筋力はつくものなんですよ。一回に三分、それを一日三回続ければ九分運動したことになります。それを一週間続けたら六十三分運動した事になりますよね。」と親切に話して下さいました。

帰宅してすぐにその事を伝えると、義母は目を輝かせて喜んでくれました。そして、先生の言われた事を守り毎日運動を続けた事により、一ヶ月もたたないうちに元気になり、今では部屋の中だけですが杖をつく事もなく歩ける様になったのです。

まだ物を持って歩くことはできませんので食事の用意は一人ではできませんが、それ以外の日常生活はなんとか自分でできる様に努力してもらっています。毎日の生活がリハビリになっているのです。あの時入所していたら今の様に元気にはしていなかったと思います。状態の悪い方々の中に入れば気持ちも落ち、前向きにはなれなかったと思うからです。

「もう私はダメだ。」と思った時から、人はどんどん身体が弱っていくとの事です。高齢者の方が骨折をして入院し、一ヶ月もしないうちに痴呆症になったというお話はよく耳にします。それも「もう私はこんなになってしまっておしまいだ。」と思った事によって起きる現象との事です。心と身体は一体ということをよく表していると思います。

このように、義母の腰痛の件を通して多くの学びがありました。医師の一言の重みというのも目の当たりにしました。医師の皆さま、どうぞ言葉にはくれぐれも心遣い宜しくお願い致します。信じた言葉通りに現実というのは創られていくものなのですから。

その後、一日一回片足立ちを左右一分づつすれば、五十分歩いたのと同じ効果があるという事を知り、今、私の回りで片足立ちがスムーズになっております。

皆様も、鶴さんになった気分で片足立ちをなさってみてはいかがでしょう。運動には筋力アップと同時に血流アップの効果があり、脳にもとても良いとの事です。一日わずかの運動で寝たきりになることもなく認知症になることもなく、人生を全うできればこんな幸せ事はありません。

高齢になる前にこの事を知れたことはとても幸せです。高齢の方でも大丈夫です。わずかな運動を毎日継続するという事が秘訣です。

皆様とこの事を共有し結ばれますこと願っております。
ありがとうございます。



2012/05/18

“もと一つ”と宇宙の法則

悩み多き中学生だった私は、ある夜のラジオ番組で「心に悩みを持つ人は、私のもとを訪れなさい」と言われた言葉に心を打たれ、いつしかその番組で紹介された教会に通うようになりました。その後何度か通っていたのですが、急に家を出る時に不安が襲ってまいりました。なぜなら、私の家は仏教を信仰しており、家族の中で私一人が別の信仰を持つという事が心配になってきたからです。
しかし、その時心の中から「大丈夫、もとは一つなのだから」という声が聞こえてまいりました。
もちろん、その時の私には、その意味するところなどわかりませんでした。

その後、「もとは一つ」という言葉はとても心に残り、事あるごとに思い出すこととなりました。中学生の頃の私は、「この世はなんて生きづらいところなのだろう」と、悩んでおりました。学校にも家庭にも私の心が安らぐ場がなかったからです。

だから、せめて教会の中には心優しき方々がいて欲しいと思い通っておりました。平和を唱えながら一方では戦争をしている、その宗教に疑問を強く持ち、そこでその宗教は卒業することにしました。

しかし、大学入試を控えた頃には、「人は何のために生まれてきたのだろう。人は必ず死ぬのに、今私が苦しんでいる勉強にはする意味などあるのだろうか」、という悩みが出てまいりました。

その悩みは結婚した後に出会った本を通して解決することができました。魂というものが存在し、魂は永遠であり、人は魂を磨く為に何度も生まれてきているという事がわかったからです。しかし、中学の時に聞こえてきた「もと一つ」の意味は、その時はまだわかりませんでした。

嫁ぎ先には数十年入信している宗教がありました。結婚当初は、よくわからずにその教会に夫に言われるままに通っておりましたが、回を重ねる度にまた宗教に対する疑問が出てまいりました。この世の現世利益を一心不乱に念ずる姿に、とても耐えられませんでした。

私は、宗教というのは人の生き方や心の教えなどを学ぶ場だと思っていたからです。一方で、先祖供養の大切さも教えて頂きました。

しかし、夫が病気になった時、「あなたがもっと一生懸命に信仰しないからだ。先祖の供養が足りない」と責められ、とてもつらい思いをしました。その言葉を聞き、私は益々その宗教から心が離れてしまいました。

夫はこの世の学びを早く終え、天に帰りました。宗教の誤りに気づいた私は、その頃にはもう宇宙の真理、宇宙の法則について学んでおりましたので、夫の死もちゃんと受け止めることができました。その点は、とても感謝いたしております。

宇宙の真理とは、愛と調和、宇宙の法則とは、その一つが「原因と結果の法則」といわれるものです。多くの宗教では、「それはあなたの業です」とか、「業が深い」とか、「因縁」という言葉を使っているように思います。因や業という言葉には、善と悪の両方の意味があると思うのえすが、宗教の世界では、通常悪い行いを意味している場合が多いように思われます。

また、その悪い意味で使われる因縁という言葉に、とても苦しめられている方々も多いのではないかと思うのです。

この世の不幸のすべての原因を前世の悪い行いのせいにされていたり、先祖の供養が足りていないせいにされていることが多いように思います。

罪を犯さない人間などいません。どんなに小さな事であっても、誰かを傷つけたり、知らないうちに嫌な思いをさせたりすることもあります。それをすべて罪とするならば、誰もが罪を犯しているといえます。

罪を犯したと思ったならば、心から反省し改めればよいのです。心から誤ればよいと思います。そして改心した人のことは許したらいいのです。その時カルマは解消されます。

いつまでも因縁という言葉に苦しむことが、あらたな因を創ることになります。そして果が生まれてきます。その果をどう捉えるかで、また因がうまれる。その繰り返しです。

因には二つあるということです。善の因と悪の因。善の因をつくれば善の果が結ばれ、悪の因をつくれば悪の果が結ばれるということ。すなわち出したエネルギーが自分に返ってくるという宇宙の法則です。

先祖供養とは、肉体を頂いたご先祖に感謝をする事だと思います。そして先祖をずっとたどっていくとサムシング・グレート、“もと一つ”の存在にたどりつきます。私が中学生の時に心から聞こえた“もと一つ”とは、この存在のことだったのですね。

そして、私たちはこの“もと一つ”のご存在の分け御霊を一人一人が頂いております。私たちは、いわゆる「内在神」を頂いている尊い存在なのです。真実の私たちは、罪人や凡夫などではありません。

宗教は、この内なる神の存在に気づかせないしくみになっているということにも気づき、そして、その事に気づけたことで、内在する神のご存在の事を深く意識することができるようになりました。

ただ意識を向けたらいいのです。意識とはエネルギーです。この内在神へ意識を向けることで、一体とならせて頂くことができます。

大麻の衣は、もと一つのご存在と私たちの中に存在する内在神とを結んで頂く、高波動の贈りものです。宇宙の法則を共に学んでまいりましょう。そして、宇宙の法則に沿った生き方をしてまいりましょう。

この思いを共有できます方々と結ばれます事、心より願っております。
ありがとうございます。

















2012/04/28

大麻とひふみ祝詞

ひふみ祝詞とは、人が天に捧げる祝詞といわれております。
また、日神の祝詞(ひのかみののりと)といわれることもあります。

最近では、ひふみ祝詞の素晴らしさに気づかれた方々が農の場で奏上され、立派なお野菜が作られたりしているというお話もお聞きします。では、なぜお野菜が素晴らしく育つのでしょうか。

それはおそらく、“ひふみ祝詞”の波動がすべてのものを生育させ、繫茂繁栄させるエネルギーに通じるものだからだと思われてなりません。

神様は、最初に水と麻を地球に送られました。大麻は縄文の時代から人々に親しまれてきました。衣・食・住のあらゆるものに使うことが出来る大麻は、医療にも効を成し、代替するものがないほど強いエネルギーが内在している植物だともいわれます。

また、大麻が放つエネルギーは宇宙の高周波層(=神)と共通しているという説も存在しています。ゆえに日本では、大麻は神の依り代として扱われ、しめ縄、鈴ひもなど、神社で使われるほとんどのものは大麻によって作られ、それが伝承されてきました。まさに大麻は神草といえるのではないでしょうか。

日本全国には八万を越える神社が存在しており、そこでは宮司さんが天皇の代理としてご存在になって言霊を述べられています。毎日のように一生懸命純粋な祈りを捧げられていることによって、日本という国と宇宙エネルギーとを結ぶ結界ができるわけです。それゆえに、日本人は宇宙エネルギーに守られてきたと思われます。

このようなことを考えたときに、大麻の衣を身にまとい“ひふみ祝詞”を天に捧げることが、今を生かさせていただいている私たちにとって大変意味深いことだということがわかってまいりました。

“大麻”と“ひふみ祝詞”とで、新しい時代の光を三次元の地球に下ろしていけたら…。なんと素晴らしいことでしょう。大麻を通じて、私たちが住むそれぞれの地域に“新しい光”が下りることになるのです。

麻の葉模様のようにその光が結ばれ、日本中に広がり、
その光が地球を包み、銀河に放たれることを祈念いたします。

麻を身につけていた人々は、先の大戦で落とされた原爆からも守られたということが知られております。新しい時代が来るまでには、まだ様々な出来事があるかもしれませんが、神草である大いなる麻(大麻)に守られこの時代を皆様とともに越えて行けたらと思います。
私共の思いを共有していただける方々と結ばれますことを心より願っています。